2012年1月16日月曜日

富士塚

1月15日(日)は、富士山の信仰登山にまつわる勉強会。
富士山ガイドの有志で、ちょっと巡ってみました。
今回は、珍しく山の文化ネタです。

富士塚というものを知っていますか?
下の写真がそれで、江戸時代から明治時代くらいに主に作られたもので、東京に多くあります。
高さは10m以上のものから消滅寸前の小さなものまで、神社の境内の隅の方とか、公園の隅の方とかに隠れています。
これ、もちろん富士山を真似て作ったんですが、外見は富士山の美しさが再現されておりません(笑)。

しかし、当時のこだわりは外見じゃあありません!
まず、登山口のあたりには、富士山の溶岩を敷き詰めます。(多くは、本物を持ってきたと言われている)
山頂に、神社を再現するに止まらず、途中の名所旧跡までミニチュアで再現していたり!

名所旧跡というのは、「誰々という神様が祀られている神社」とか、「誰々という偉い方が修行した洞窟」とか、そういうものです。
当時の江戸では、富士信仰登山が大ブーム!
もちろん、江戸から歩いて富士の麓まで入り、そこから歩いて登ったというのですから、過酷なイベント!

そこで、村単位などでグループ(講)を作り、そこで毎年案内をするリーダー(先達)やお金を出し合ったりするシステムを組んだり。
どうにか、この登山を成功させていたそうです。
で、登れない人は当然現れます。
それどころか、江戸時代は女人禁制でした。

そこで、「富士山に登れない代わりに!」と富士塚が建てられたそうです。

そして、「これに登ったら富士登山と同じ御利益がある!」と・・・。
どの程度本気かは分かりませんが。
そして、7月1日の富士山の山開きに合わせ、グループみんなで山開きをやったりもしていたそうです。
知れば知るほどに、かなり本格的にやってたことが分かります。

そして、“登る”という行為そのものに込められた思いの違いも感じられます。

今の富士登山は、スポーツ、冒険、レジャーなんかを混ぜたような感覚です。
山を神様と思う気持ちとは違いますが、ヨーロッパの探検時代的な“征服”というのも、ちょっとピッタリ来ません。
僕にとって、得意ジャンルではありませんが、こういうことも知ってると、また別の角度から山が好きになるかもしれませんね。
実際、富士山ではお客様も興味を持つ話が多いものです。

この日は、午前中は大学の先生を招いての勉強会。
午後は、富士塚巡りでした。

今シーズンの富士山のために、もう少し勉強しておきます。
本で読んでも忘れてしまいがちなので、現物を見たのは良かった!